真実がアングラとされググれなくなる未来

あれ、、

最近のググって検索して表示された結果がなんか面白くない…

って時々感じるんです。

ぼくにとってググった結果が優等生すぎて気持ち悪いって感覚になったんです。

画像検索とかもう露骨じゃないだろうか?

害のあるサイトへの対策や、有益でないサイトやグロ排除なんかも分かるけど、(アダルトだったり…ゲフンゲフン)

とにかくたくさん違和感だらけ。

Google検索のトップは要点を的確に、かつ有益な内容で写真やグラフといったデータも盛り込んだページやブログのほうが検索するにはいい。

ぼくのような内容が薄いブログよりはね。そりゃそうだ(^^;)

クリーンなもの、他はさぞかし無駄なものという位置づけでしょうか。

しかし!そうすることで世の中が本当に良くなるのかGoogle先生よ・・・?

ぼくがそんなインターネットの過渡期を幸運にも見れてきたからそう思うのだろうか?

無駄を突き詰め、切り落とし続けると、無駄だと思っていたその中にこそあった大切なことに気付かされることが多いしぼくはそう思う。

(今思うと断捨離がセンターピンだったのかもなぁ。)



話を戻します。

新しいことやものを入れ替えてみると、新しいことやものにも結局のところ同じか別のめんどくささが出てくるものです。

例えば、最新のスマホを買ったけど操作に慣れません。

最新の家電や調理器具、電子マネー、新しいソフトを導入もしくは更新したら意図せずに使い方がガラリと変わってしまってたり。

コロ助の影響でも仕事や日常生活の多くが変わりました。

皮肉にも停滞したであろう時間が当たり前に対して疑いの余地を持たせてくれ、技術的には強制加速されたというのが正しいかもですね。

そして古いことやものにこそあった大切なことにも気付かされる。

これらのことからも言い続けてはキリがないことだし。結局はどちらがより良いのか、自分がどちらを選ぶか、だとは思うけど。

監視カメラは素晴らしいと思うけど、素晴らしいのは私生活への監視の浸透という安全とプライバシーとの引き換えだし、

逆に、そこにある真実を隠さんとするものであっても何かを同時に受け入れざるを得ない。

具体的に思いつかんけど例えば殺人をしたら罪との等価交換となる。

裁かれずとも見つからなくとも、自分はいつ見つかるのかと人の眼に怯えたまま生きることになる。

 

何かを差し出してってことは多少のロスは生じるかもしれないけれど、基本は等価交換であってここで言えることは安全だけではないってこと。

人間の犯罪抑止や凶暴性のコントロールだけじゃなく、特定の誰かが有利になるようコントロールするのに徹底的に利用され、事実を隠され続けるんじゃないか。

そのうち、いずれ子供がどうやって産まれるの?とか動物を用いた実験や犬猫の殺処分の現実、人類の黒歴史、あとなんだろ…

人間の負の部分へは一般市民がアクセス不可となり、徹底的に触れられないSF世界に一歩一歩近づきつつあるなぁと思います(今でもどことは言いませんが。)

これらに類似したことが技術の進歩という希望ある言葉によって私生活へ気づかぬうちに徐々に浸透し続けているのが何か恐ろしい。

考え過ぎとか妄想癖?と思われて仕方がないことかもしれない。

ぼくがネット検索した行為も創造をはるかに超えた技術へ(ぼくたちが理解できないものに)人生を委ねることをしているんだなぁと書きながら思いました。

だからこそ、限定的でない便利さや快適さは人類にとって必ずしも幸せではないことだと思います。

とにかくたくさん違和感だらけ。の正体はこういうことなんだと思います。


まとめ

『誰かの名言』で、

人間が想像できることは、人間が必ず実現できる

というのをぼくは信じてたりします。

でもアニメや漫画、映画のようなワープ航法とか、タイムマシンはムリなのかなぁ…

一時的に人間をデータ化するしかないのかなぁ?(ぼくの好きなアニメにこんな話があったので)

先の未来では入れ替え書き換えが可能な使い捨ての器みたいな肉体を持ってたりして。

…うーむ、わからんです。けど今は夢があるということにしときましょう…

 

選択肢を狭められ、誘導されるがまま生きるとは何なのだろう?

ぼくたち人が選択することのできない自由とは真の自由ではない。

選択することは自分自身に自信を持たせること。自己を保つ方法なくして繁栄することもないと今は思うし。

 

近年では量子コンピュータが特定分野から実用間近といわれてますね。

恐ろしいくらいの計算能力のようですし、これが技術特異点になるのは間違いない。

これが人類の繁栄をもたらすかそれとも否か・・・ぼくはどちらもあると思うのです。

もしここまで読んでくれた、そんなあなたにこの言葉を送ります。

 

ミテイル セカイヲ シンジルナ

 

それは本当にいいことなのか、普通なのか?

通り過ぎていく何気ない日々にある違和感を感じたら、そんな自分を信じて下さい。情報化時代であるからこそそう思うのです。

普通の日々を過ごすことの弊害は、一生見抜けないことがあるということ。そう思うのです。

ではでは〜(‘ω’)ノ

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